パンのかけら

聖書のことばと短いおはなし

驚くべき希望(清教学園宗教週間チャペルメッセージ)

2023年5月22日に河内長野市にあります清教学園のチャペルにお招きいただきました。

清教学園は、幼稚園、中学校、高校があり、キリスト教精神に基づいてとても素晴らしい教育活動を行なっておられ、優秀な人材を社会に送り出しておられます。堺栄光教会にも卒業生、在学生、関係者が多数在籍しています。

中間試験明けで、お疲れモードの高三生のみなさん。メッセージを聞いてくださり感謝します。少し長いですが、当日お話しした原稿を掲載します。

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清教学園宗教週間 高校三年生チャペル
聖 書 ヨハネの黙示録二一章一から四節(新共同訳)
説教題 驚くべき希望

 

おはようございます。日本イエス・キリスト教団、堺栄光教会牧師の後藤真と言います。堺栄光教会はららぽーと堺の近くにあります。けさは、高校生のみなさんに聖書のお話ができますことを嬉しく思っています。機会を与えてくださいました先生がた、ありがとうございます。

さてほとんどが初対面のみなさんにこんな話から始めるのもなんですが、わたしは遠距離恋愛をして結婚しました。大阪と千葉です。いまから三十年近く前のことです。想像できないかもしれませんが、当時スマフォも携帯もありませんでした。固定電話はありましたが、彼女は寮生活をしていて電話がかけにくいという状況でした。

みなさんならどうしますか。面倒くさくなって別れますか。相手が他の人に心を奪われていないか心配になりますか。しかしスマフォがなくても電話ができなくても相手と繋がる手段があります。手紙です。手書きで手紙を書いて、切手を貼って送る。一週間に五通から六通の手紙を送り合いました。毎回便箋四・五枚は書きました。

嘘みたいですが実話です。たしかにいま思い返せば、ありえない話だなと思います。でも当時は手紙を書くことに何の苦労もありませんでした。なぜだと思いますか。それは結婚しようと思っていたからです。愛していたからです。だからふつうなら絶対にやらないような大変なことがまったく大変だとは思わなかったのです。

なぜ遠距離恋愛の話をしたのかと言うと、実は、みなさんが入学したときに買われた聖書、この分厚い本を貫いているのは、遠距離恋愛のような物語だからです。聖書は創世記から始まっています。神様が世界を造り、人間を造った物語です。そして、アダムとエバエデンの園で、神様との約束を破って食べてはならない木から取って食べた。それで彼らはエデンの園から追い出された。そうして神様と人間はいっしょにいることができなくなったのです。神様がいる場所は天と呼ばれ、人間が生きる場所は地と呼ばれるようになりました。いる場所が別々になってしまったわけです。

今お話ししたのが聖書の始まりの物語です。では聖書のいちばん終わりにはどのような結末が描かれているのでしょうか。それがきょう読んでいたただいたヨハネの黙示録です。ヨハネの黙示録は聖書のいちばん最後にあります。さらにその終わりの方に書かれているのがきょうのことばです。ここには三つの大切なことが書かれています。

第一に、古い天地が過ぎ去り、新しい天地が見える。いまわたしたちが生きている地も神様がいる天も造り直され、再創造されて新しくなるということです。

第二に、新しいエルサレムが新しい天からくだってきて、新しい地と一つになるということです。天と地、神様のいる場所とわたしたちのいる場所が一つになるのです。

第三に、神と人がともに住み、人は神の民となる。その結果、涙・悲しみは神様に拭い取られ、死がなくなり永遠のいのちに生きる者とされる。

人間といっしょにいることができなくなった神様が、人間といっしょに生きるようになる。これが聖書全体の物語です。このことのために、神様はわたしたちに愛を注ぎ、イエス・キリストを十字架にかけてまで、神様とわたしたちがいっしょにいられるようにしようとしてくださっているのです。

今朝、驚くべき希望としてお伝えしたいことは「神様がいっしょにいる世界が来る」ということです。みなさんはふだんから世界に目を向け、広い視野を養っておられると思います。だから、世界にさまざまな課題があることを知っているでしょう。そして、世界の課題を知れば知るほど、未来には希望がないように感じるかもしれません。

年金はもうもらえないかも知れない。食料がなくなって虫を食べることになるかも知れない。たとえば、そういうニュースがあちこちで聞こえてくるでしょう。けれどもこれまでの歴史を振り返るとそういう予想は必ずしも当たらないものです。

たとえば、わたくしが小学生だったころ、「もうあと何十年で地球上の石油がなくなる」と盛んに言われ、学校でも習いました。それで「将来石油がなくなり電気が使えなくなったらファミコンができなくなる」などと心配していました。ところがいま石油はなくなっていません。四十年前に知られていなかった油田が見つかったり、新たな掘削方法が開発されたり、シェールオイルが利用できるようになったりしたからです。このように人間の予想は、現時点での知識に基づいているので当たらないこともあります。

しかし、神様は将来を知っています。世界の向かう方向もすべてご存知です。世界の将来が描かれているのが黙示録です。人間のあやふやな予想に基づいて不安になるよりも、神様の指し示す驚くべき希望に土台を置いて歩んでいく方がよいと思いませんか。

さて、遠距離恋愛だったわたしたちは結婚するまでに十回くらいしか会っていません。けれども、結婚する頃にはお互いのことをある程度理解できていました。手紙のやりとりでお互いの気持ちを伝え合ったからです。

ヨハネの黙示録は将来の希望を指し示す預言です。いまわたしたちが生きている時代はイエス・キリストの十字架・復活と、この将来の希望の間にあります。いまは、神様の思いを受け止めわたしたちの思いを神様に伝える、手紙をやりとりするような時代です。わたしたちは神様をこの目で見ることができません。まだ神様といっしょに生きる日が来ていないからです。けれども神様の思いや、価値観を知ることはできます。聖書に書いてあるからです。神様はラブレターを書く気持ちで、なんとかいっしょに生きようとわたくしたちに伝えたくて、このような聖書を与えてくださいました。

みなさんは、清教学園というすばらしい環境の中で、聖書の教えを聞く機会、キリスト教の価値観や文化に触れる機会を持っています。牧師としては、みなさんが教会に行かれてイエス・キリストについてもっと深く知るということを希望します。しかしそこまでは考えていなくても、学校で触れた聖書の教えやことばを、価値観を大切にしていただけると嬉しいです。そして希望に土台を置いて、将来のことを考えていただければとおもおいます。

もういちど聖書のことばを読んで終わります。

見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってとってくださる。もはやしはなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。

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