パンのかけら

聖書のことばと短いおはなし

2024年5月5日(日) 十字架を負って

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。マタイ17・5

 

「十字架を負う」ということばは「いつまでも消えることのない罪や苦難を身に受ける」という意味で使われます。辞書には「キリストが人類の罪を背負って十字架にかかった」という聖書の物語からこのことばができたと書かれています。

しかし聖書で「十字架を負う」ということばは、そのような慣用句とはまったく違う意味です。まず、「十字架を負う」とは、ローマの死刑囚が自分がかけられる十字架の横木を背負わされて、市中を引きまわされ、さらしものにされることを意味しました。

しかし別の面から見ると、イエス・キリストが十字架刑を受けることは、人類救済のための神様の計画でした。「十字架を負う」とは、自分を捨て(自分の思いや自分の考えを脇に置いて)神の計画(神の思い、神の意思)に従うことを選ぶという意味です。そこには苦難もありますが、幸福もあります。苦しみも、幸せも含めて人生すべてを神様に任せて従うことが「十字架を負う」ことなのです。