パンのかけら

聖書のことばと短いおはなし

信仰・信用・信頼

「信仰」ということばは、キリスト教に限らず、神や宗教を信じる場合に使います。辞書を引くと、「神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること」とあります。たしかに、キリスト教でいう信仰もまた、神やイエス・キリストを信じてあがめることであり、聖書の教えを自分のよりどころとすることです。しかしそれは、心の中の内面的な信心に留まるのではなく、イエス・キリストを信頼して生きる生き方のことです。

このことをより分かりやすくするために、「信用」と「信頼」の二つのことばを比べてみます。

信用とは過去の実績に基づいて、相手を信じても大丈夫だと評価することです。「あの人は今まで秘密を人に話したことがないから大丈夫だ」というのが信用です。

信頼とは、相手を信じて頼りにすることです。「あの人は今まで秘密を人に話したことがないから、悩みを相談しよう」というのが信頼です。心から信頼できる人からアドバイスをもらったら「その通りやってみよう」と思えるでしょう。キリスト教信仰とは、イエス・キリストを心から信頼して、頼りにする生き方のことです。

イエス・キリストはさまざまな方法で、わたくしたちを助けたり、導いたり、時には間違いをただしたりします。あるときは聖書のことばを通して、あるときは祈りを通して、あるときは、同じキリストを信じる他の人のことばを通して、あるときは礼拝の中で語られる牧師のことばを通して…このようなイエス・キリストの語りかけを受け止め、それに頼り、それに従うことがキリスト教で言うところの信仰です。

自分の願いがかなうことや、都合のよいことばかり願うのが信仰ではなく、時には耳の痛いことも聞き入れる。そうしてイエス・キリストに全面的に人生を任せるのです。