今日ダビデの街で、あなたがたのために
救い主がお生まれになりました。この方
こそ主キリストです。マタイ14・30
イエス・キリストの降誕物語はしばしば、星の光る静かな夜のしあわせなできごとであるかのように描かれています。しかし、そこにあるのは、美しく暖かいできごとではなく、痛みと苦しみと孤独です。
マリアの処女懐胎は、聖霊によるものでしたが、そんなことだれが信じるでしょうか。不貞を疑われたマリアとヨセフは、だれにも理解されない孤独の中で苦しみに耐えなければなりませんでした。マリアは客間で出産することが許されず、出産後にだれも祝いのことばをかけることもありませんでした。
また神にとってイエス・キリストを地上に送ることは、自分の一人息子を十字架にかける決断をすることでした。神はこれ以上ない痛みを負ってマリアのもとにイエス・キリストを生まれさせたのです。
このような大きな犠牲を払ってまで、神が成し遂げたかったのは、わたしたちを死と孤独から解放することです。これがキリスト教の「救い」です。それゆえクリスマスは神から与えられたいのちと愛を静かに喜びあう日なのです。